皇室典範改正案 通常国会提出慎重論も
今上天皇から順にさかのぼっていくと、1779年に即位した119代天皇の光格天皇に行き着く.118代目に継承者がいなかったので、閑院宮家から養子に迎えられたのだという.
この閑院宮家は,さかのぼること,60年ほど、皇統の断絶を危惧した新井白石の進言により,1625年の有栖川宮家以来の宮家として創設された宮家である.新井白石は,よくぞ思い切ったことを提言したものだと思うが,その慧眼のおかげでいまも天皇家は続いている.もっとも,この新井白石も皇室典範問題研究会の言い分からすると,思い上がりも甚だしいということになるのだろうが...
宮家を次々と誕生させた明治時代の振る舞いも,天皇家の伝統からすると,相当に枠からはずれたものだっただろう.それ以前の世襲の親王家は4つだったはずで,伏見宮家から次々と宮家を創設したこの時代は,まさに伝統をよしとせず,いとも簡単に変更していった時代である.これは,反省するところ多だとせねばなるまい.
いまは,断絶か存続か,そこれが問題だ.
女系容認は,存続の否定ではなく,存続を肯定する.
そして,男系男子限定は,皇統の正当性を遺伝に認めるならば,女系否定はナンセンスであり,むしろ断絶のリスクを高める意見でもある.庶系を許容してきた時代でさえ,男系の存続の危機があったわけで,いま一時的に男系で存続しても,今後,たびたび,同じ危機に見舞われることは間違いない.2度あることは3度あり,3度目の正直は,決して杞憂ではない.
断絶を覚悟したうえで,男系男子に固執するためには,伝統からはずれて,言葉は悪いがバカスカ創設された明治期の宮家の男系子孫に皇室に戻っていただかねばならない.
そして,戦後にひとたび,皇室を離れたところから男性を迎え入れ,あまつさえ,その男性に天皇に,という案にいたっては,伝統を何重にも踏み外していて,畏れ多くて口にするのもおぞましくないかい?
2665年とは言わないが,天皇家の歴史は,紆余曲折はあったにせよ,この1500年くらいは間違いないだろう.その間の歴史を平均的に見てみれば,もっとも変なのは,19世紀半ばから20世紀半ばの100年間のはずだ.そこに回帰したいという考えこそは,実はもっとも歴史から何も学ばない,伝統をナイガシロにする頭の所業なのである.
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追記:
個人的なスタンスは、男系を守る方がよいと思うけど... くらいです。積極的な女系容認ではありません。
ことこの問題は、たった60年ほどの現行憲法に強くこだわるべきイシューでもないのだろうとも思えますし、せいぜい数百年の歴史しかない人権思想も同様で、そんなものは超越しているからこその天皇という気がします。同様に遺伝学の知識もあまり意味をなしません。天皇家の正当性の証明に近代科学を持ち出してきても、空しいだけで、証明などできません。というか、証明できないから特別なんでしょう?
だから、国民的理解は、正当性を保障する原理かシンボルさえ明らかであればいいのです。
むしろ、いまは、現代を生きている現代人であるところの皇室の方の「納得」の方がポイントなのでは?とも思います。
というのも、正当性を守るための手立てとして、男系を守るための努力が、ホントに果たしているのか?という疑問を感じます。国民以上に、皇室がその正当性のシンボルを見失っている可能性も否定できません。
3種の神器が存在しない、今、血筋にそれを求めれば、女子でも男子でもかまわない、というところに落ち着いているように思えるのです。これが、女系容認の意味です。
しかし、
現代においては、雅子様も紀子様も、もう子どもができないという年齢ではありません。ましてや皇太子や秋篠宮はまだまだ男盛りなのですから、男子誕生のためのもうひと踏ん張りが必要なのではないのかと思うところです。医学的に、男子が生まれないのであれば、それは仕方ありませんが...
男系こそが、正当性のシンボルならば、その可能性があるのならば、やはり側室制も含めて、チャレンジしてみることは、一考に値するでしょう。少なくとも万策は尽きた わけではないのです。
3種の神器などは、飾りに過ぎないわけで、実は、皇室が特別な存在であることは、特別であり続けることでのみ保障されているのです。
すなわち、いったん、特別でないところに降りた旧皇族は、もはや特別でない人々です。正当性は断絶しています。
そして、特別でない人を特別にするためには、わかりやすいシンボリックな根拠が必要です。女性はそれを子どもを産むことで成し遂げますが、男性は、それをどうやって果たすのでしょうか?そこが解決できない問題なのです。
ということで、いまの時点では、側室もないでしょうから、世襲であることが唯一のシンボルとなり、女性天皇から女系の子孫への世襲か天皇家の断絶か、という選択肢になると思っています。となると、断絶は忍びないので、女系容認 というところに落ち着くのです。